コンサートプロモーターとは?
プロモーターの歴史と現在
戦前からライブ・エンタテインメントビジネスを行い、日本の音楽文化の発展を促す
観客を集め、有料で歌舞音曲・演劇・映画・スポーツなどを催すことが「興行」です。興行は長い歴史を持っており、興行を主催するプロモーターは、時代や業務内容によって〈興行師〉〈呼び屋〉などと呼ばれながら、日本のショー・ビジネスの発展を支えてきました。ここでは近現代のプロモーターの軌跡を見てみましょう。
江戸後期~明治~大正時代
「興行師」「興行会社」と呼ばれる主催者が、浪曲や芝居、寄席などの興行を主催する。昭和~戦前
引き続き興行師・興行会社により、浪曲などの興行が行われるほか、クラシックやタンゴなどの招聘公演も行われる。戦中
戦時体制下で興行が抑制される。戦後~50年代
進駐軍基地内で勤務する日本人で、海外タレントの来日慰問興行を管理する主催者が登場し、「呼び屋」と呼ばれる。この呼び屋は進駐軍の基地にて、日本人演奏者(主にジャズ)のライブもサポートしていた。
その一方で、興行師・興行会社が主催する浪曲、歌謡ショー、芝居、漫才などが人気を博す。60年代
全国各地の興行師・興行会社が、歌謡ショーやプロレスを数多く主催。テレビの浸透にも後押しされる形で、興行に親しむ人が増加し、市場も急激に拡大した。呼び屋による招聘公演も活発化し、ジャズやラテン、アメリカン・ポップスなどの多彩な公演が行われる。70年代
国内でフォークやロック、ニュー・ミュージックが若者の支持を集めるなか、全国各地の学生が同時多発的にそれらのコンサートを主催しはじめ、全国にその音楽を浸透させる大きな役割を果たす。各地でコンサートを行う学生プロモーター同士の連携により、日本を縦断する全国ツアーが行われるようになる。
また、呼び屋の活躍でロック・ポップスを中心に多くのアーティストが来日し、人気を博す。66年のビートルズの日本武道館公演以降、大規模な会場でのロック・ポップスのコンサートが実現可能になる。会場の大型化に合わせて機材が進歩すると共に、大量の動員が見込めるため、ギャラの高額な海外アーティストも招聘できるようになった。80年代
レコード産業の拡大に伴い、レコードのプロモーションを兼ねた多数のコンサートツアーが実施される。各地のプロモーターが主催するコンサートが、バンド・ブームをはじめとする数々のムーブメントを活性化し、音楽産業の拡大に貢献する。ドームやアリーナ会場が建設され、大規模な公演が増加していった。90年代
CD産業の巨大化に伴い、コンサートもますます大規模化。CDのプロモーションとしても重要性が高まるのと同時に、演出や美術も進化し、エンタテインメントとして成熟していく。
90年代末、各地で野外フェスティバルが誕生。夏の風物詩となるフェス文化を創出し、ユーザーに新しいライフスタイルを定着させた。2000年代以降
パッケージの市場が徐々に縮小していくなかで、一期一会の体験であるライブの価値が見直される傾向に。インターネットの普及によりコンサート情報へのアクセスやチケット購入の利便性が高まり、ライブに親しむ人の裾野がさらに広がっていく。
またプロモーターも音楽に留まらず、演劇や寄席、スポーツに伝統芸能など、幅広いライブ・エンタテインメントを提供するようになっていく。