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A.C.P.C.提携講座 ライブ・エンタテインメント論
ゲスト講師リレーインタビュー (東京工科大学)season 4

夏目公一朗さん
Interviewee

REC.001 夏目公一朗さん

(株)アニプレックス取締役会長/一般社団法人アニメジャパン副理事長

プロフィールの詳細


CHAPTER.1
夏目先生がアニメ業界に進むまで

― 本日、講義での学生たちの印象をお聞かせください。

夏目公一朗さん(以下夏目と敬称略):単に単位をとるためじゃなくて、アニメという分野にすごく興味を持たれて積極的に聞いている学生が多いと感じました。一人一人をよくは見ていませんが、居眠りが少ないなと思いました(笑)。積極的な学生が多くて嬉しかったですね。もっといろいろと伝えなくてはと思いつつも、今日は時間が足りなかった。

― アニプレックスの関連のアニメ制作会社A−1Picturesに、この講座を受けていた学生が昨年、就職しました。今日受講していた学生たちにA−1Picturesは憧れの会社でもあります。

夏目:講義では話をしませんでしたが、今年入社したその卒業生を、先日ランチに誘ってヒアリングをしたんです。「仕事はハードじゃない?」って聞いたら、ハードだけどやりがいがあると。すごく楽しくやっているみたいで、まだアシスタントですが、このままどんどんどんスキルが身について、やがて彼女が制作進行の責任者として担当する放送回が出てくると思いました。もう少しすると、きっとクレジツトに名前が出るでしょう。実は、辞めたいといわれたら困ったなと思ったんですけど、やる気まんまんで嬉しかったです。

― ご自身が学生時代、どんなことに興味をもっていたのか教えてください.

夏目:私が大学で専攻していのは工芸・工業デザインで、就職先については自動車や時計、家具とかのメーカーに進めればいいかなぐらいしか思っておらず、具体的ではなかったと思います。しかし、ある時これをやりたいかなと思ったのがファッションデザインで、当時は山本寛斎さんがまさに新進気鋭でロンドンやパリのファッションショーをがんがんやって、世界に対して凄く派手なパフォーマンスを行って名を挙げていた時だったんです。

― 日本人のファッションデザイナー、高田賢三さんや三宅一生さん、そして山本寛斎さんが世界で活躍を始めた1975年頃ですね。

夏目:そこで僕は、本当に門をたたいて、入れてくださいと山本寛斎さんに弟子入りしました。ボタン屋やファスナー屋を回り材料の仕入れを行い、パタンナーの型紙と生地を工場に持って行って縫製してもらい、それを仕上げ工場にまわし、百貨店に納品。そういうことを一通りやりました。しかし、当時ファッション業界の多くは給料が滅茶苦茶安かった(笑)。これはつまり、みんな修業して技術やノウハウを学んで独立するという時代だったからなんですよ。

― 夏目先生がファッション界で仕事をしていたことは、初めて伺いました。しかし、当時ファッションデザイナーは、憧れの職種でした。就職の倍率も高かったですよね。でも、見習いは特に給料は安かった。

夏目:会社は原宿のセントラルアパートにありました。近くにある『キディランド』の宣伝部門で大学の先輩が働いていたのですが、ある日、ばったり会って「うちの宣伝部で募集しているから来ない?給料も人並みだよ」と誘われて。初心を覆すわけですから迷ったんですけど、でも宣伝部門でウインドー・ディスプレイやポスターのデザイン、ラジオのCMスポット制作、イベントの企画、店内装飾のデザイン仕事があるというので、やってみようと思ったんです。2年間程勤めているうちに、自分自身にデザイナーとしては大した才能はないかもしれないなと思うようになり、自分で筆を折ったんです。

― 自分の才能を自分が見極めるとうことは、なかなか難しいことですが、客観的にご自身を見つめたということでしょうか?

夏目:石の上にも10年ぐらいの気持ちで取り組んでいたら違ったかもしれませんが、自分は道がずれているかもしれないなと気づいた時に、ビジネスの感覚をちゃんと身につけようと思ったんです。キディランド原宿の1階の売り場を担当させてもらい、仕入れから販売、売り上げ管理などの責任者として働きました。若いお客さんばかりだったので自分の感覚が全部生きるわけです。当時、雑誌『ポパイ』が創刊され、大ヒットした『メイド・イン・U.S.Aカタログ』に凄く興味をもっていたので、アメリカの商品を仕入れて販売し、そのときにキャラクターとの出会いがありました。僕にとって最初に衝撃を受けたのがミッキーマウスのグッズです。見たときに、キャラクターがビジネスになるって面白いなと思って、そういうことに初めて気づいたんです。

― 当時はまだ珍しかったのですが、ミッキーマウスの電話機とか様々なアメリカのキャラクターグッズがキディランド原宿には並んでいました。それから、どのようにしてアニメ業界に進むのですか?

夏目:今在籍しているソニーミュージック・グループの中にキャラクタービジネスの部門ができて、そこで企画、営業、マーケティングの中途採用の募集があるというのをたまたま同僚が見つけて一緒に受けようということになったんです。運良く採用され、そこで3年間営業をやりました。その後マーケティング部門に7年、のち企画制作部門に移るのですが、キャラクターグッズの企画・製造・販売の現場で貴重な経験を積みました。その後、幾つかのグループ内企業も経験、ソニー本社の手掛ける商業施設プロジェクトを経てソニーミュージックの経営企画に移動となりました。次が当時元気のなかったアニメ部門に携わることになったのです。僕は、3年間で軌道に乗らなかったら畳んでいいから、チャレンジさせてくれと会社にお願いして本格的に取り組みました。幸い2年目(2003年)に『鋼の錬金術士』が大きなヒットとなり、これはオープニングテーマでソニーミュージック所属アーティストのポルノグラフィティが「メリッサ」を、ラルクアンシエルが「READY STEADY GO を歌いヒット、凄い相乗効果をもたらしましたね。

― また、どうしてアニメ部門を担当しようとお考えになられたのですか?

夏目:当時のアニメ部門会社では『るろうに剣心』以来ヒットがなくて苦しんでいました。自分なりにアニメ業界の状況を調べたら、蘇生できる突破口はあると思えて、そこで会社に再建レポートを出したら、自分でやれということになったわけです。それまでに経験して来たキャラクター、通販、化粧品、商業施設など様々な分野でのビジネスが自分にとって貴重な肥やしになったと思います。今日の自分はいなかったわけですから。また、それらの分野で出会った多くの方々との出会いの中で学んだことも大きいと思います。

― 夏目先生のこれまでのキャリアは学生たちの生き方にとても参考になるものだと思います。

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