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A.C.P.C.提携講座 ライブ・エンタテインメント論
提携講座/登壇講師インタビューseason 6

クレイ勇輝さん
Interviewee

REC.007 クレイ勇輝さん

元キマグレン/株式会社音遊 代表取締役社長

プロフィールの詳細


CHAPTER.1
24歳で7000万円の借金を返済

登壇したクレイさんは「僕は新潟で生まれましたが、5歳の頃からヨーロッパやカナダなどで過ごしました。それからいろいろなことがありましたが、僕が37歳になったこれまで、どのような人生を歩んできたか映像にまとめたので観てください」と幼少からの映像がスクリーンに流れ講義はスタート。

現在もホームグランドである逗子駅が映し出され「僕が音楽をはじめたきっかけは、ある出会いからです。それは逗子駅前のマクドナルドに凄く可愛い女性スタッフがいて、僕は彼女に近づきたくてアルバイトをはじめました。そうしたら彼女がギターをやっていることを知って、『バンドを組めば仲良くなれる』と思いつきました。17歳の夏、彼女をバンドに誘い、僕がボーカルでベースとドラムを友人に頼み、ライブをするようになりました。これで彼女と付き合うことができたけど、でもすぐにフラれてしまったんです。このフラれたエネルギーが真剣に音楽をやることになり、本当にどこにきっかけがあるのか、わかんないよね」と、ざっくばらんな話し振りに学生たちからは軽い笑いがおこりますが、続くクレイさんの話に誰もがどんどん引き込まれていくことになります。

「それから彼女を見返してやろうとアメリカで勉強してニューヨークにある州立大学の医学部に入ったけど、でも、この頃っていろいろ探していた時期で、やっぱり音楽を続けたいと思うようになり、医学の道は諦めて23歳の時に日本に戻りました。そこでまず何をやったかというと海の家。市役所に行って『どうやったら海の家が作れるのか』と聞いて、1年後には『音霊 OTODAMA SEA STUDIO』をやっていました。そして音楽活動をやっていこうとキマグレンを結成しました。でも賑やかにやっていたら知らないうちに7000万円の借金ができてしまい、親には追い出され車の中で寝泊まり。この頃は24歳と若かったので7000万円の借金がどのくらい大変かわからない。仕事をしながら返すしかないと思っていたら、キマグレンが運良く紅白歌合戦にも出られてメジャーになってCDも売れ、借金を返すことができた」と、波瀾万丈な体験を赤裸裸に話すクレイさんでしたが、借金の話はこれで終わらないのです。学生たちはさらに引き込まれています。

ヒット曲『LIFE』を歌ったキマグレンの紅白出場は2008年、キマグレンがメジャーデビューしたことにより、『音霊 OTODAMA SEA STUDIO』の運営は好調で、2010年の夏だけで4億円を売り上げ、経営者としても成功していたとのこと。
しかし、順風満帆かと思えたのも束の間、2012年頃から会社経営が厳しくりなり、2014年の冬、当初数千万円だった借金が1億円を超えてしまった。その要因の一つには海の家でのライブで、地域住民とのトラブルやさまざまな問題が巻き起こり、結果的に近隣住民からひんしゅくを買ってしまったことだといいます。

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