A.C.P.C.提携講座 ライブ・エンタテインメント論
提携講座/登壇講師インタビューseason 1
CHAPTER.1
昭和50年代、社交場の著作権管理
― まずは、大橋先生ご自身がJASRACに入社なさるいきさつを教えていただけますか?
大橋健三氏(以下大橋と略):当時はオイルショックでひどい就職難の時代でした。1976年(昭和51年)の新卒入社ですが、当時はJASRACの著作物使用料徴収額も年間110億円くらいで、今の10分の1でした。職員は300人もいなかった(2011年度の著作物使用料徴収額は約1,058億円、職員数は約480名)。
私が入社したときは、支部による演奏権の取り扱いの幅を広げていかなくてはならないということで、東京本部での採用はなく、男性は全員地方支部での採用で私は大阪支部配属を前提に試験を受けたんです。音楽が好きというのが最大の志望理由でした。
― どんな音楽を聴かれていたのですか?
大橋:自分で演奏するならベンチャーズ程度ですが、やっぱりビートルズ世代ですので、LPレコードは全部持っています。
― JASRACの職員の方は、やはり法学部出身者が多いのですか?
大橋:他企業と比較すれば多いです。特に近年は知的財産権、著作権を含めたそれらをゼミで学んでJASRACを知り入って来た人間がたくさんいます。
ただ全員が法律の勉強をした訳ではなく、私も法学部出身ではありません。JASRACの中には著作権法の改正であるとか、関連する法規を調査し、法制度の改正に必要な研究を行う部署があります。
― 入社後は、どのようなお仕事を?
大橋:支部でライブ・コンサートであるとかクラブ、スナックなどから音楽利用の対価である著作物使用料を頂いていましたので、そこで法律実務を学ぶ訳です。日常の許諾徴収業務に無許諾利用への法的措置を絡ませて、著作権管理のスキルアップにもっていく。それが基本的にJASRACの職員の育て方ですね。
― 現場の叩き上げですね。
大橋:私は大阪・東京・名古屋で夜がメーンの生活を10数年(笑)。入社当時、カラオケはまだ8トラで、カラオケの管理はしていませんでした。大型のキャバレー、ダンスホール、クラブなど、主に生演奏のお店に対して飛び込みセールス的に「著作権というものがありまして、音楽を営業場所で使うのであれば手続きが必要ですよ」と説明し、後日コンタクトをとって日時を定めて具体的な許諾内容の交渉をしました。
JASRACが飲食店の音楽利用の管理を始めたのは昭和23年のキャバレーの生演奏からで、多くの裁判で判例を積み重ねていましたが、昭和50年代でも著作権の理解はまだまだでしたね。
― 当時、社交場の経営者たちの反応はいかがでしたか?
大橋:いつも問題になるのが過去の無許諾利用分、いわゆる遡及分の精算でした。これは管理の公平性でいえば、例えば1年前から営業している店が隣同士であって、片方は1年前から払っていて、もう片方は1年分なしで良いとはできないので、しっかり過去に遡って徴収しなくてはならない。これが最大のネックでした。
― それは自己申告になるのですか?
大橋:客観的に見て、クラブとして営業して1年、ピアノは置いてあるだけで演奏していないという話は通用しません。そこを頑強に主張されるようであれば、客としてお店に入って、演奏者にいつから従事しているのかなどと聞き取り調査をしました。
― カラオケスナックなどへ行きますと許諾契約済の証であるJASRACのステッカーが貼ってありますね。現場のご苦労がわかります。
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