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A.C.P.C.提携講座 講義録

A.C.P.C.提携講座 産業概論から実務的なビジネス論まで幅広いテーマの講義を展開
メディア特別講義Ⅱライブ・エンタテインメント論

ライブエンタテインメント論東京工科大学実施

2018年10月2日

提携講座第3回目は、ゲスト講師お一人目となりますLeaR (リアル)株式会社 代表取締役の小橋賢児さんをお迎えしました。2014年、アメリカ・マイアミ発の世界最大級都市型ダンスミュージックフェスティバル「ULTRA MUSIC FESTIVAL」の日本版である「ULTRA JAPAN (ウルトラジャパン)」が初開催され、今年で5周年を迎えました。小橋さんがクリエイティブディレクターをつとめ、2018年はお台場で9月15日〜17日の3日間開催され、大成功を収めています。講義は小橋さんのこれまでの人生をなぞりながらインタビュー形式で進行しました。

小橋賢児 /Kenji Kohashi

1979年8月19日、東京都生まれ。8歳で芸能界デビュー、以後数々のTVドラマや映画、舞台に出演。NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演するなど、俳優として活躍していたが、27歳の時に俳優活動を突如休業し、世界中を旅する。多様な文化にインスパイアされ、様々な人々との交流のなかで映画やイベント製作を始める。車椅子の不良オヤジと旅人で作家の高橋歩らとのアメリカ縦断の旅を描いた長編映画「DON'T STOP!」で映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティアワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。また、Dîner en Blanc、ULTRA JAPANなど海外のイベント日本上陸の牽引役の一人として活躍し、それぞれのクリエイティブディレクターをつとめた。また、初年度から各界で大きな話題となった、伝統を未来へ紡ぐプロジェクト未来型花火エンタテインメント「STAR ISLAND」の総合プロデュースも務め、内閣府主催「クールジャパン・マッチングフォーラム2017」にて審査員特別賞を受賞。同イベントがシンガポール政府後援の国をあげたカウントダウンイベントも成功させるなど世界規模のイベントや都市開発などの企画運営にも携わる。

小学3年生のときからテレビ番組の『パオパオチャンネル』(※)などに出演し、子役として活躍していた小橋さんは、「僕は劇団に所属していたわけではなく、両親が共働きで鍵っ子だったこともあって、家が割と自由な環境だったので、自分で勝手にオーディションを受けました。そして運よく合格したんです」といった話から講義はスタート。

(※)『パオパオチャンネル』1987年10月19日〜1989年9月までテレビ朝日と静岡県民放送(静岡けんみんテレビ、現:静岡朝日テレビ)で放送されていた子ども向けのバラエティ番組。放送時間は月曜から金曜日の夕方18時 - 18時50分。

「その後、芸能活動を続けていく上で、劇団の子役さんと違って、セリフをどうやって覚えるか、どう話すのかなど、ちゃんと専門的な勉強をしたことがなかったので、ずっと独学で学習していました」と小橋さん。。

小橋さんは、天賦の才能があったのでしょう。その後も27歳まで、約20年にわたり、映画、舞台、TVの他、数多くのTVCMにも出演、芸能界で活躍していました。しかし、俳優の生活から抜け出し、自分らしい生き方を模索するようになります。その頃のことをこう話してくれました。

「子役から俳優になってオーディションを受け、役について、という。芸能界の仕事にのめりこんでいた生活がしばらく続いていましたが、何かどうしても日本の芸能界は365日働きづめみたいなところもあり、インプットの数が減っていってしまう…このままで本当にいいのだろうか、と悶々と自問自答してくうちにもっと可能性を見出したいと自分の好奇心がふとより広い世界に向き始めたんです。もっと自分を磨きたいというか。そこで、世界を広げるためにはまず英語を覚えようと考え、ボストンへ行きました。アメリカへ行く時に日本語を話さない環境を自分で作り、2つの目標を立てました。一つは外国人の友人をみつけてアメリカを車で横断する旅をすること、もう一つは英語で喧嘩ができるようになる事でした」。
さらに小橋さんの話は学生を引きつけました。

「結果、その二つは達成できましたし、その後様々なところへインプットの旅に行き、多様な文化に触れて、様々な人たちとの交流をしていくなかで、自分がやるならこうやりたいと積極的に映画やイベントの企画をするようになり、帰国してすぐにいろいろなところにプレゼンしました」。
しかし、事は進みませんでした。一社たりとも共感を示したところはなかったのです。

「長い間、俳優をやっていた僕がいきなりプレゼンしても足元みられるだけで、やはり最初はそう簡単にはいかなかったので落ち込みました。そのうち貯金も底をつきはじめ、小さなアパートに引っ越すしかなくなって、しばらくしてついに体を壊してしまいました。本当にどん底でしたね。でもその生活のなかで、体と心を整えるために山を歩いたり、自然のなかに身を置いたりすることを大事にしていたんです。そして、あるとき自分の誕生日を祝われるより、もてなそうというテーマを思いつき、自分の誕生日をイベントにしてみようと思い立った。たまたま知り合いがホテル関係者で、話をしたらそこのガーデンが安く使用できることになり、友人たちを集め、有料にして開催しました。収支はトントンでしたが、自分の考えを企画して実行したことでみんなが楽しんでくれて、人を喜ばすことの実感をつかんだのと、思えばこれが今につながるきっかけだったのかもしれません」。

講師 小橋賢児さん

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