A.C.P.C.提携講座 ライブ・エンタテインメント論
提携講座/登壇講師インタビューseason 1
CHAPTER.3
あの頃があるから、今がある
― 下北沢LOFTのバイトから1977年(昭和52年)にミュージック・アンリミテッドに入社なさるのですが、そのいきさつを聞かせてください。
原田:LOFTのバイト仲間に野沢毛ガニ君(サザンオールスターズ)がいて、彼は当時、マーブルヘッド・メッセンジャーというバンドもやりつつ、南佳孝さんのバックバンドにも在籍していて、彼から「佳孝さんがマネージャーを探している、やらないか?」と。
そのときに、マネージャーをやるのはいいけれど、一個人でコンサートをやるまでのお金がなくて、まずは事務所に入った方がいいということになって、佳孝さんが自分で見つけてきたのがミュージック・アンリミテッドでした。
― 伝説の音楽事務所です。
原田:当時は松任谷由実さん、ムッシュかまやつさん、加藤和彦さん、東芝EMIのエアーズというバンドが所属していました。
― 当時はビジネスの下地はできていたのですか?
原田:LOFTの頃は、いかにいい音楽は何かって探すことは大事だったけど、どうやって儲けるかなんて考えたことはなかったですね。LOFTはその頃バイトの給料が凄く良くて、ミュージック・アンリミテッドに入社したら給料が半分ぐらいに(笑)。
― ライブの現場はいかがでしたか?
原田:朝の9時から仕込みが始まるので、8時半ぐらいに現場へ行って、夕方の6時頃にライブが始まって9時に終わりますが、その後バラシ(搬出業務)があって、終わるのが夜の10時から11時で、それから打ち上げ。これを若い人たちに話すと驚かれるのですが、そんな生活がすぐ普通になりました。
― 原田さんがミュージック・アンリミテッドに在籍した1977年から79年は、松任谷由実さんが初めて葉山マリーナでリゾートライブを行い、加藤和彦さんがアルバム「パパ・ヘミングウェイ」を発表した頃ですよね。
原田:あの時代にいろいろ経験させていただいたので、それをバネに今も頑張ってやっている感じですね。有り難いと思っています。
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